積分定数の違いのような「区別したくない方向」を、最初から同じ点とみなせるだろうか。
このページでできるようになること
商空間で不要な差を潰し、非一意性を新しい空間の一意性へ変えられるようになる。
線形写像の核に沿って入力を動かしても出力は変わりません。商空間は、写像から見えない差を意図的に無視し、同じ情報を何度も数える無駄を取り除く構成です。
部分空間 $U\subset V$ があるとき、$v-w\in U$ となるベクトルを同じものとみなします。$v$ の同値類
$$v+U=\{v+u\mid u\in U\}$$
全体を商空間 $V/U$ と呼びます。加法とスカラー倍を
$$
(v+U)+(w+U)=(v+w)+U,\qquad a(v+U)=av+U
$$
で定めます。
関係 $v\sim w\iff v-w\in U$ は同値関係です。$v-v=0\in U$ なので反射的です。$v-w\in U$ なら $w-v=-(v-w)\in U$ なので対称的です。$v-w,w-z\in U$ なら
$$
v-z=(v-w)+(w-z)\in U
$$
なので推移的です。
この定義では代表元を選んでいます。$v'=v+u_1$、$w'=w+u_2$ と取り直しても、$(v'+w')-(v+w)=u_1+u_2\in U$ なので同じ類になります。さらに $av'-av=au_1\in U$ なのでスカラー倍も代表元に依りません。ベクトル空間の八公理は、$V$ で成り立つ等式を同値類へ移すことで一つずつ従います。
同値類の代表元を替えても加法とスカラー倍の結果が変わらないことを確認する。
線形写像 $T:V\to W$ に対し、
$$\overline T:V/\ker T\longrightarrow\operatorname{im}T,\qquad
v+\ker T\longmapsto T(v)$$
は線形同型である。
$v+\ker T=v'+\ker T$ なら $v-v'\in\ker T$ である。したがって $T(v-v')=0$、すなわち $T(v)=T(v')$ なので、$\overline T$ の値は代表元に依存しない。
任意の $a,b$ と $v,w\in V$ に対して
$$
\begin{aligned}
\overline T(a(v+\ker T)+b(w+\ker T))
&=\overline T((av+bw)+\ker T)\\
&=T(av+bw)\\
&=aT(v)+bT(w),
\end{aligned}
$$
だから線形である。
$\overline T(v+\ker T)=0$ なら $T(v)=0$、つまり $v\in\ker T$ である。したがって $v+\ker T=\ker T$ は商空間の零ベクトルであり、核は零だけである。よって $\overline T$ は単射である。
任意の $y\in\operatorname{im}T$ は、像の定義からある $v\in V$ により $y=T(v)$ と書ける。このとき $y=\overline T(v+\ker T)$ なので全射である。以上から線形同型である。
$T:\mathbb{R}^2\to\mathbb{R}$、$T(x,y)=x+y$ とします。核は直線 $x+y=0$ です。商空間では、この直線に平行な点をすべて同じものとみなします。残る自由度は一つで、$\mathbb{R}^2/\ker T\cong\mathbb{R}$ です。
有限次元なら、$U$ の基底を $V$ の基底へ延長することで
$$\dim(V/U)=\dim V-\dim U$$
も従います。次元定理は第一同型定理の次元を数えた影です。
同値類の代表元を替えても加法とスカラー倍の結果が変わらないことを確認する。
$V$ を有限次元、$U\subset V$ を部分空間とすると
$$
\dim(V/U)=\dim V-\dim U.
$$
$U$ の基底 $u_1,\ldots,u_k$ を $V$ の基底
$$
u_1,\ldots,u_k,v_1,\ldots,v_r
$$
へ延長する。任意の $x\in V$ は $x=\sum_i a_iu_i+\sum_jb_jv_j$ と書け、$u_i+U=U$ だから
$$
x+U=\sum_{j=1}^rb_j(v_j+U).
$$
よって $v_1+U,\ldots,v_r+U$ は商空間を生成する。
$\sum_jc_j(v_j+U)=U$ なら $\sum_jc_jv_j\in U$ である。したがって $\sum_jc_jv_j=\sum_id_iu_i$ と書ける。全基底の独立性からすべての $c_j,d_i$ は零である。よって商空間の列は独立でもあり、基底である。ゆえに $\dim(V/U)=r=(k+r)-k=\dim V-\dim U$ である。
微分写像 $D\colon\mathbb{R}[t]_{\le3}\to\mathbb{R}[t]_{\le2}$ の核は定数多項式全体です。$D(p)=D(q)$ であることは $p-q$ が定数であることと同値です。第一同型定理は
$$
\mathbb{R}[t]_{\le3}/\mathbb{R}
\cong\mathbb{R}[t]_{\le2}
$$
を与えます。「微分すると積分定数だけが失われる」という事実を、核を潰す操作として表したものです。
$V=\mathbb{R}$、$S=\{0,1\}$ とする。$v-w\in S$ で同一視しようとしても対称性すら成り立たない。実際、$1-0=1\in S$ だが $0-1=-1\notin S$ である。部分空間という仮定が、同値関係と演算の両方を保証している。
三角形分割された図形を考える。辺を基底とするベクトル空間から、頂点を基底とするベクトル空間への写像 $\partial_1$ を「辺の端点を取る操作」とする。また三角形を基底とする空間から辺の空間への $\partial_2$ を「三角形の周を取る操作」とする。向きの符号を避けるため、まず係数は $\mathbb{F}_2$ とする。
一つの三角形の周をさらに端点へ送ると、各頂点は二度ずつ現れて $0$ になる。したがって
$$
\partial_1\partial_2=0,
\qquad
\operatorname{Im}\partial_2\subset\ker\partial_1.
$$
$\ker\partial_1$ の元は途切れず閉じた辺の組合せである。しかし三角形の周として現れる閉路は、面で埋まっているので「穴」と数えたくない。そこで
$$
\ker\partial_1/\operatorname{Im}\partial_2
$$
を取ると、面の境界だけ異なる閉路を同一視し、埋まっていない穴だけが残る。
商空間は、単に記号的に元をまとめる道具ではない。「同じ穴を囲む経路の違い」を捨て、本質的な穴を取り出す。この考えが後にホモロジーと呼ばれる理論の最初の形である。
$V=\mathbb{R}^2$、$W=\operatorname{span}(1,1)$ とする。$(2,0)+W=(1,-1)+W$ か判定せよ。
二つの剰余類が等しいことは、代表元の差が $W$ に属することと同値である。差は
$$
(2,0)-(1,-1)=(1,1)\in W
$$
なので、二つの剰余類は等しい。
商空間は、核に属する差を無視することで写像を単射に作り替えます。次のページでは、この直観を第一同型定理として定式化し、$V/\ker T$ と $\operatorname{Im}T$ の間の具体的な同型を構成します。
邪魔な自由度を削除する操作が得られ、積分定数・剰余類・穴の検出を同じ構造で見られる。
次へ持ち越す問い
この見方を、次のページではより広い対象またはより計算しやすい形へ移す。
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